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彼らが生きる意味とは?電車内の出来事をきっかけに考えた、「知的障害者」の存在意義

彼らが生きる意味とは?電車内の出来事をきっかけに考えた、「知的障害者」の存在意義
当記事には過激な表現が頻出します。関係者の方、感情的になりやすい方、物事を客観的に捉えられない方は読まない事を推奨します。

 公共交通機関を利用していると、たまに知的障害者らしき人を見掛ける。
 最近は電車内にて、せわしなく動き、時おり大声でワケの分からない奇声を発する男性に遭遇した。
 周囲には、彼の補助をする付き添い人は見当たらなかった。

 ここからは、個人的に感じた事をそのまま書く。
 俺からすれば、到底あり得ない話だ。
 正直に言うと、その時は『うるせえなぁ…』、『出て行ってくれねえかなぁ…』とさえ思った。
 他人に不快な感情を抱かせたり、迷惑を掛ける可能性があるのなら、彼ら(彼女ら)を見守る介護者が行動を供にする義務があるだろう…と。

 上記の出来事をきっかけとして、彼らの存在する理由を考えてみた。
 以降は、可能な限り客観的な立場から意見を述べていく。
 尚、当記事のテーマは「知的障害者」のみに絞る。

知的障害者を取り巻く2つの視点



 まず、彼らに対する目は大きく2つに分けられる。

1.「身内」の視点



 知的障害者が生まれた家庭は、間違いなく不幸になる。
 彼らは身内に対して悪意の無い負担を強い、法律がそれに拍車を掛けるからだ。

 だが生まれてきた以上、誰かが世話をしていかなければならない。
 彼らは他人の足を引っ張り続け、奈落へ導く事しかしないだろう。
「望まれて生を受けた知的障害者は居るのか?」と疑問さえ湧いてくる。

 知的障害者の家族は、

自分の子供だから…

存在を消す事は出来ないから…

などの理由から、生涯介護に悩まされ続ける事となる。
 そして、それは並大抵の精神力では絶対に不可能だ。

 実際に、介護を苦にして身内を殺める事件も少なくない。
 だからこそ、彼らと真摯に向き合おうとするその姿は、素直に尊敬すべき対象だと考えている。

2.「健常者」の視点



 こちらは、俺が属する視点だ。
 健常者は知的障害者を見た時、必ずと言っていいほど距離を置いてしまう。
 正確には、「どう接したらいいか分からない」と言うべきかもしれない。

 冒頭のように、「健常者」は意味不明な挙動や奇声を不快に感じる。
 その時は口でこそ言わないものの、何かしら奇異な目を向け、心の中では毒づいてしまう。

 実際に匿名の掲示板では、

知的障害者は邪魔

生きている意味が分からない


などの書き込みも見受けられる。

 上記が、健常者の心の声をそのまま反映しているとは言えない。
 しかし、そう感じている人が居ることは紛れもない事実。
 残酷だが、『マトモで良かった』と思うのもまた、人間なのだ。

 もともと(知的障害者の関係者を除く)健常者は、当事者とその身内ではない。
 故に、自分を『身内の立場』に当てはめることは出来るが、実際にどうしたら良いかという結論は永遠に出せない。
 身内以外は知的障害者を不快に思ってしまう…コレが健常者の真実だろう。

知的障害者を巡る論争



 匿名掲示板でよく目にする意見について、『健常者の立場』から個人的な見解を述べていく。

意見1.普通の子と同じような学校で勉強させてあげたい



『公平』を望む意見だが、俺は家族のエゴや自己満足でしかないと思う。
 本人が普通の学校で健常者と共に過ごす場合は、相応の介護が必要になるからだ。

 コレは周りからすれば、とても迷惑な話。
 中には、

介護するのが当たり前だろ!

なんでウチの子を助けないんだ!?

などと文句を言う、「モンスターペアレント(自己中心的かつ理不尽な要求をする親)」も居る。

 そもそも、知的障害者は勉学に励む仲間の邪魔をする可能性もある。
 それならば、本人の能力に合った教育を受けられる場所を探すことが、親としての役目なのではないだろうか。

意見2.なぜ知的障害者を批判するの?何か悪い事をしたの?



 こちらは、不快感を露わにする人に対し、知的障害者を擁護する声。
 健常者からすれば、彼らを不快に思うのはごく自然な話だ。

 元々考え方や価値観は各々違う。
「自分と同じ」にしようとする思考のほうが不自然だろう。

意見3.家族の立場になったら、そんな事言えなくなるよ



 こちらも、「意見2」と同じ擁護の声。
 至極当然だ。確かに俺の身内に知的障害者が居たら、考え方は180度変わるだろう。

 だが、“他人”はそうした状況に置かれていない。
 故に、やはり親身になる事は不可能なのだ。

「知的障害者」の生きる意味とは?



 医学の発達により、望む望まないに関わらず、本来なら生を受けない子供が激減した。
 命が大切な事は確かだが、その考え方が「知的障害者でも生き続けさせるべきだ」との風潮になり、その結果として彼らが存在している(安楽死も同様だ)。

 だが親にとっては、自分の子供である事に変わりはない。
 だからこそ、守りたい、成長を見守りたいと考えるのは、当たり前なのかもしれない。
 誰かが『生きて欲しい』と願う事、コレがそのまま知的障害者の存在意義なのではないだろうか。

 しかし、それが本当に正しいのかどうかはまた別の話だ。
「日本国憲法」には、以下の法文がある。


1.すべての国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

出典Wikipedia

 こう定められているなら、全国民は例外なく平等という事になる。
 実際、あなたは幼少の頃に

差別はよくない

と教えられてきたハズだ。

 だが、現実は違う。
 身近にも、一般人・有名人、貧困層・富裕層などの枠組みはいくつも存在する。
 前述の「意見1」もそうだが、大半の健常者は

人に迷惑を掛けずに暮らして欲しい

のが本音ではないだろうか。

 例えば、俺の小学校時代に知的障害者のクラスメイトが居た。
 彼は意味不明な言動をしながら、いきなり女子に抱き付き、体を触るという奇行が日常茶飯事。
 子供心だった当時でさえ、『気持ち悪い』と何度も思った。

 それにも関わらず、周りの大人たちは彼を過剰に守り続ける。

やめさせてください!

と被害者の女子が教師に訴えても、

仕方ないんだよ…悪いけど我慢してね

とマトモに取り合わなかった。

 今思えば、彼は養護学校(特別支援学校)へ行くべきだったと強く感じる。
 そこなら他人に迷惑を掛けず、人間関係のこじれを心配する事も無いだろう。
「十人十色」の言葉があるように、人の居場所もまた違うのだ。

 しかし、『平等=無差別』なら、この定義は既に破綻している。
 人間社会においては、“真の平等”など存在しない。
 俺もまた、「1人の健常者」であるように。

最後に


 いかがだっただろうか。
 俺はありのままの現実を書いたつもりだが、不快に感じたならここで謝罪したい。
 
 ふとした出来事から、「知的障害者」の存在意義を疑問に感じ、当記事の執筆に至った。
 これからは今一度、彼らに対する接し方を深く考えていきたい。
4.5 rating

この記事の著者

職業:雑記ブロガー&エロブログ運営者肩書き:金の亡者江川 / ブロガー
『黙々と、淡々と』が理念の冷酷な金の亡者。表の顔は雑記ブロガー、裏の顔はエロブログ運営者。他者に頼らず、媚びず、自力で人生を切り開く一匹狼。
元雀荘メンバー(歴4年)、「田舎フリーランス養成講座」の講師を3回担当。
ピュアな人が好き。煽り・炎上・馴れ合い・意識高い系・パリピ・腹黒い奴は死ぬほど嫌い。

月間30万PVの男性向けWebマガジン、【EGweb(イージーウェブ)】も運営中。
副業は三麻東天紅、打ちたい方はお気軽にご連絡下さい。

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  • Comments ( 46 )
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  1. 的を射てるなぁと思いました。
    身内の立場になれば、ガラリと変わるのもまた1つですね。
    私は健常者ですが、障害をお持ちの見知らぬ方(毎回違う)から、ホームから突き落とされそうになったり…と、とても怖い思いをしました。
    こちらの命の危険がありますからね。。
    健常者の素直な意見としては、このブログに同意ですね。

    せめて付き添っていて欲しいです。あと、うちの子は障害者なんだから、大目に見て当然という親の気持ちは、全く理解できないです。。

    許されることと許されないことがあります。
    また、彼らが被害者にも加害者にもなり得る境目に位置している事を認識してほしい。

    • 「可能な限り客観的な立場から」と書いておきながら、かなり自己中心的な内容になってしまいました…。
      ただ、共感して頂けて素直に嬉しく感じます。

      僕も通りすがりさんの意見に全く同意です。
      付き添いは、本人の為にも第三者の為にも必須かと。
      そうした怖い体験がおありなら、尚更そう思いますよね…。
      健常者と障害者、立場が大きく違うからこそ、お互いに配慮し合う間柄でいたいものです。

      • 共感します
        受験勉強が一段落し、帰りの電車で大暴れしてる恐らく障害者の方を見かけました
        「平等」とは、人によって相異なる事を認識してほしいですね。みんながみんな同じ場所同じ環境は本質的に一種の一元化であり、個人が共同体から自立した現代で、共同体社会の中での個々人を考慮した法律の制定は難しいが故に、健常者の方も障碍をお持ちの方も、互いに我慢するしかないのでしょうかね。。。

    • By 知的障害者は気色悪すぎ

      知的障害者はキモメンしかおらんから不快に感じる人が圧倒的一番多い
      その逆で普通の人間はアウアー、ん゙ま゙ー゙なんて鳴き声は出さないし変な挙動もないからイケメンであればイチャイチャしてても許される。結局は顔と普通かどうかだね

  2. 知的障害は施設に入れますよ。税金で。
    家族が間違いなく不幸 というのは間違ってると思います。

    • By 健常者にほど近いアスペ+ADHDの20代

      とりあえず私は不幸になりました。
      あいつのせいでいじめられたこともあります。
      中指を噛まれたことがあります。
      公衆の面前であいつが喚いて恥をかきました。
      兄弟喧嘩が11歳下の妹と喧嘩するまでできませんでした。

      親はどう思ってるかは知りませんけどね。

  3. 生産性が無い、下手すれば自我も動物並なのに、税金で生かしておく事がどうなのかを論点にすべきです。

    • 悲しい事にそれはできないでしょう。
      それについて「(死にたい)ご老人や、(頭では奇行をやめたいと思っている)障害者をどんな手を使っても生かす。」というのがこの国の掲げる正義であり、平等というものだからです。

      知恵袋を見ればその怖さが分かります。
      「障害者は死んだ方がいいのでは?」と言う風な質問には、口を揃えて「お前は何様だ」と帰ってきます。(個人的には「お前絶対障害者だよ」という返しがほしいのですが)
      しかしこんな「生きるべき」と書いている者達は「生きているところ」を見た事がありません。
      つまり「障害者はどう思っているか」「周りの支えている人は」ということについては書いてありません。書けないのですから。

      自慢ですが僕ちんは高校生。二世帯住宅に住んでおり祖父は半身が動かないので、車いすで移動。舌がうまく動かないので「おーい」くらいならおkだけど会話は無理です。何が言いたいかというと夜中でも何時間か置きに「おーい」「おーい」と聞こえてくるのは結構きます。

      この記事を読んで本当に的のど真ん中を射ている記事だと僕は思います。
      はたして真に心ない者はどちらなのか「生かしたい人」に聞いてみたいです。

      長文失礼しました。勢いに任せて勝手な事や自分の感想なんかを書いてしまったですすいませんでした。

  4. ナチスドイツのヒトラーの政策でこんなものがありました。良かったらどうぞ。
    https://www.ushmm.org/outreach/ja/article.php?ModuleId=10007683
    感慨深いです。

  5. まさに現在進行形で知的障害者のブロガーに、ブログ内での自分の言葉や性格を今年3月からパクリまくられてる者です、書かれている事に共感致します。
    私もそう言った人の存在意義が全くわかりません。

    いきなり人格が翌日から私に変わったと言った感じで、真似られてると知った時は、かなり気持ち悪かったです。
    どうやら知的障害の人はここまで真似してはいけないとか言う境界線が分からないみたいですね。
    今では人の過去記事を漁り、そこにあるキーワードから記事を作成しているようで、まるで成りすまし。
    現実でたまたま仲良くなった知的障害の中には食事をしてお会計時に「一緒でお願いします」と発言しておきながら財布を出さない者も居ました…。理解不能です。

    本当、他の方が仰るよう施設に入れてネットも使わせないべきかと思われます。
    知的障害者が私の趣味ブログ運営の障害になっているとはなんとも皮肉な話。

  6. 知的障害者を擁護する団体や身内の方々は差別はよくないと言いながらも、自分たちは好き勝手にさせてそれを許せと、いつも矛盾したことばかり言ってると思いますね。

    私もブログ主さんに同感で、彼らを人として扱って生涯を全うしてもらうには彼ら専門のコミュニティや学校、職に就かせるしかないと思います。
    少なくとも、健常者よりも税金で保護される立場からして彼らはすでに擁護されているし、健常者の社会が彼らの為に不利益や損失を伴うことがあってはならないと思います。

    私の職場にも一人だけ知的障害者の人がいますが勝手な行動やワガママを捏ねるせいで職場全体に不利益を被りました。本人に言っても理解できないので責任者からその人の親に話すことになっております。
    そもそも、そのような人を他者の存在する空間に働かせること自体が間違っていたと思いますね。

  7. 十人十色と言いますし、障害は個性だと仰る御立派な方々に言いたい
    個性だと言うのなら、個性に合った環境に置いてやるのが優しさで、無理矢理健常者と一緒に生活させる事こそ、彼らを否定している事になるのです
    今朝も通勤中に、知的障害者のおじちゃんが他のお客さんに掴みかかってました
    然るべき生活をさせない事は、彼らの尊厳を失わせるいわば暴力行為です
    知的障害者の御家族は、どうか彼らの個性と尊厳のためにも、適切な生活が出来るように考えて欲しいですね

  8. あなたたちは、障害者関連の仕事をしたことがあるのか?自分は1ヶ月派遣でしたことがある。知的障害者
    は言葉がわかる癖に都合がわるくなると障害者のふりをして逃げて人に迷惑をかけながらそこにあぐらをかいてる奴を散々見てきたわ。植松が出てきた理由を考えられないのか、どれも本質は犯罪知的障害者をかばってるコメントばかりじゃねーか

  9. 非常に興味深い意見でした。現代社会において、「知的障害者に対して迷惑だ、怖いなどという感情を露わにしてはいけない」という風潮、そういった社会の傾向が1健常者としてとても疑問に感じていました。
    現に私も、公共の場での知的障害者の方の奇声や奇行に嫌悪感を抱きながら生きてきたのですが、「知的障害者だから」という理由で健常者がそれらを黙って我慢しなくてはいけない、ということではないですよね。
    また、障害を持って生まれた自分の子供に、ほかの健常な人間と同様の生活を送らせたい、人間は平等でなくてはならない、というのは親のエゴであるという意見も、非常に共感させられました。事実、知的障害者の子供を産んだ時点で親のエゴは始まっていると私は感じます。産んだのならば、特別支援学校などの然るべき環境で生活をさせるのが責任というものであり、優しさでもありますよね。知的障害者を健常者と同じように生活をさせようとする、それは彼らや、彼らの親族をも不幸にもたらす危険な思考であると感じます。共存することは、無理に両者に合わせることではないのです。

  10. 身内に後天の身障者がおり、施設のイベントに幼少期に参加をしました
    起きた事件は重度の知的障害の子に「風船が赤い」という理由でボコボコのボロボロにされました
    広い公園で引きずり回され、係員が気がつかなかったら危なかったです
    言いたいことは、感情コントロールと力のコントロールが不可能な重度の知的障害の人間は、スイッチが一般人には全くわからず、リミッターのない暴力は一般人がサシでどうにか出来るものではないということです

    「やめて」と言っても「風船が悪い(意味不明)」どうしたら止めてもらえるかがない恐怖
    スイッチが一度入ってしまうと、一般人はあまりにも無力
    一般人に頑張って生きている命を~とか解くのはどうなんだ?と思っています
    非生産的でも他人に迷惑かからないならまだ良いのですが、温かく見守ってやってくださいは違うと思っている
    仕方ないじゃない、手に負えなくなったら躾の出来ていない猛獣と変わりはない

  11. いい奴ばかりじゃないけど
    悪い奴ばかりでもない。

    障害者がビリケン様、商売繁盛福助人形
    山下清画伯ばかりなら平和なんだがなぁ。

  12. 知的障害者生まれた時点で安楽死処分なる法律をつくる必要がある

  13. By 障害者はほんとうに気持ち悪い

    障害者は気持ち悪い、職場に国の制度で雇われたゴミがいるけど、有力者の子息で、権力のみでその地位を手にし、何もせずにぼーっと置物のようにいるだけで、国の税金からでる給与と障害者年金をほしいままにしています。働きもしないで性欲はただで手に入れた金を使って風俗がよい、無駄な残業して寿司を出前とるありさまです。本当に消えて欲しい。

  14. とても共感できる内容だと思いました。
    私は今障害者施設に

  15. 障害者についてどう思うかという考えは、一般論と関わりを持つ現実的な立場では大きく異なると思います。自分も一般論的には障害者差別や間引きなどとんでもないと思いますが、実際に関わっていると、正直、植松のような存在が出てくることに一定の理解も持ててしまうのです。

    これは障害者自体の是非を問うよりも、障害者をめぐるシステムの問題をもう少し見直すべきだと思います。極端に言えば病人の扱いと同じです。病人自体は善でも悪でもない、しかし病人の面倒を病院が見ずに家庭に丸投げしたり、重病人を学校や会社などのシステムにただ放り込むようなことをしたら、あらゆる瑕疵が生じ、病人への差別が起こるでしょう。

    形だけの平等を求めるのではなく、障害を認めその程度に応じた公正なシステムに適応させることに努めなくては社会全体が不幸になる。その結果としてナチスの選民思想や植松のような人間がカウンターとして現れるのではないでしょうか。障害者を学校や会社に平等を理由に放り込み世話を求めてはいけません。また、彼らを座敷牢に閉じ込めておくなどのことをしてもいけないのです。彼らにあった施設をもっと充実させ、そこに通わせる義務を障害者の親には課し、然るべき保護をするのがベストではないが最もベターな形なのではないでしょうか。

    病人は病院で過ごすのと同じく障害者は施設で過ごす。これを区別として許容する世の中になるだけで大半は解決するはずです。解決が難しいのは、障害者を持つ親の個人的感情でしょう。そこははっきり言えばエゴとも取れます。そのエゴをあまり神聖視せず冷静に見れる、ある意味正直な世の中になって欲しいと思います。

  16. とても共感できました。
    障害を持っている方には大変申し訳ないのですが、そういう方が電車やバスの中などで近くにいると、どうしても怖いと思ってしまいます。自分たち(健常者)の常識が通じない可能性が高い、つまり正直何をされるかわからないからです。
    国の税金を使い、保護されていることにも、正直疑問を感じます。健常者が報われなさすぎやしませんか。ある程度、フォローすることは必要だと思いますが、私は子どもたちを育てたりすることを優先したほうが良いように思います。保育園をもっと作ったり、職員の給料を上げたり。
    大分差別になってしまうかもしれませんが、未来がない人ではなく、未来がある人への投資を希望したいです。

  17. 家族が一生面倒を見る(自費で施設に入れる等含む)のならば文句はありません。知的障害者が電車等で野放しにされていると怖くて仕方がありません。実際唾をはかれたこともあります。もし刺されたとか突き落とされたとか大きな事件を起こしても法律が彼らを守ると思うとさらに怖くて仕方がありません。正直、彼らが生きていてもデメリットしかありません。

  18. 「誰かに生きていて欲しいって思われていること」が生きる意味というのは、すごく共感できますが、なんだか足りない気がします。社会的観点からすれば、そうなのでしょうが。
    彼ら自身が生きたいと思って生きているなら、それが生きる意味だと思います。それを言えば生きることに意味を求めること自体ナンセンスだと、よく言いますが。

  19. 障害のある大人の男性がひとりで外を歩くのは本当にいけないと思います。
    例が小学生同士のやりとりなので軽く感じますが、道を歩いていて突然唾をかけられたり、バス内で両手で掴み棒を持ち閉じ込められたり、隣に座られ顔を覗き込まれたりすると不快感どころか恐怖です。
    もちろん誰も助けてくれませんし、何が刺激になるのかわからないのでこちらも身動きが取れません。その状況から解放されても偶然助かっただけで安心できる心境にはなれません。自分がまともでよかったなどとは思いません。いっそ自分もその恐怖がわからないように産まれたかったとすら思います。
    正直、法が通じない相手ですのに人権を主張されてもよく理解できません。犯罪を犯したら同等に罰されるべきだと思います。反省をして正していくということができないのでなおさらです。差別するなというのに特別に擁護するのは何故なのでしょうか。

  20. 初めまして。
    元軽度知的障害の者です。
    意見に賛同します。
    私は、時代もそうですし軽度なので障害に気付かれずに普通学級に通っていましたが、学生の頃は背伸びばかりで辛かったです。
    お互いに居場所を考えることは、伝え方次第だと思いますが決して差別ではないと思います。
    今の子は、幸せですよー。
    だって、立場や色んなことを自覚して客観視が出来る力を身に付けることが出来るんですもの。
    現在は、IQを平均値に上げることが出来ました。
    そして、結婚して子どもが二人居ます。
    今の目標は、通信制の大学をクリア出来るレベルになることです。
    人より時間が掛かりますが、健常者と同じようにきっかけで変わる人も居る筈です。
    程々の距離で健常者、障害者関係なく接して(親しく)いけたら良いと感じているので書き込みました。

  21. By みっちゃんママ

    初めまして。
    とても共感できる内容でしたのでコメントを書き込ませていただきます。
    私には私立小に通う娘がおりますが、毎日電車通学をしております。
    ひとりで電車通学をする際に何度も口をすっぱくして注意したのが次の点でした。
    【1】電車内では上級生や付属中高のお姉さんの傍にいること。
    【2】ドア側にいること
    【3】「あー」「うー」とうめき声を上げたり突然大声で叫んだり独り言を言う人には絶対に近づかない。
    見てもいけない。近づいてきたら防犯ブザーを鳴らしながら逃げること。

    特に【3】については、娘が幼少期に重度の知的障害を持つ男に親子で襲われそうになったことがあるので特に強く注意しています。

    知的障害を持つ方を差別するつもりは全くありません。
    しかし、介助人や保護者が傍にいない知的障害者にはいろいろ疑問があるのも確かですし、障害にあった教育や環境を用意しない保護者に疑問があります。

  22. 共感できる内容でした。
    自分にはダウン症の妹がいて、正直妹のせいで肩身の狭い思いをしたことが何度もあります。
    だけど明日から妹がいなくなるのは絶対に嫌です。やっぱり家族として長年生活していたら情が湧くというか、愛情があるので。
    ダウン症は割と陽気で意思疎通も出来るのですが、妹の通っていた養護学校にいた重い自閉症の子達は意思疎通も取れず、常に自傷行為や奇声をあげていてご家族は大変だろうなと思いました。
    事実そのようなご家庭ではデイサービスやヘルパーさんに子供を預けっぱなしということもよくあります。
    やまゆり園の無差別殺傷事件も、被害者は本当に可哀想ですが、親に捨てられたも同然の方がいらっしゃったのは否めません。(もちろん愛情を持って育てていた方もいらっしゃいます)
    家族の中で必要とされているかどうかが障害者の存在意義、これはまさにその通りだと思いました。
    あと、知的障害者だけではなく、統合失調症や認知症など、健常者から精神疾患で精神障害者になられる方も多くいらっしゃるので、意外に障害者は身近にいるものですよ。

  23. 人に暴力を振るう障害者も
    いますが、無害な障害者も
    います。そんな無害な障害者を
    バカにしたり笑い者にする
    健常者も沢山いますよ。
    それをみな知ってるのでしょうかね。

    ここのコメにもナチスの優性思想が
    添付してありましたが
    いっそのこと日本も導入したら
    良いと思います。
    要は治る見込みのない
    用無しの障害者が対象なのですよね。
    なら、知的、精神、肢体不自由
    癌患者、認知症、慢性疾患等。
    例え、それが自分であっても
    大切な家族であっても安楽死。
    「平等」ですよね。
    そうすれば世の中「健常者」しか
    生き残らないはず。
    さぞかし理想的で財政潤う
    社会になるはずですよね。

    どうでしょう?

    障害者の生きる意味って
    なら健常者の生きる意味は?

    • 不思議に思うのが必ず、このような皮肉めいた発言が出てしまうこと。
      本質は、現行制度のありかたでしょう。
      介助出来る環境であればいいが、そうでないなら厳しい。
      施設もなく、世話できない社会はどうなんですか?

    • 先天性の精神障害を抱えている私の立場からも、とても共感できる内容でした。
      数ヶ月前から障害者向けの就労支援施設に通っていますが、障害者という立場に胡座をかいて真面目に訓練しない人、女性に対して異常に執着する人、何度注意されても失礼な言動が治らない人、親や周囲に責任転嫁する人、本当に色んな人がいます。
      同じ障害者でもこんなに違うのか…と思うことは多々ありますし、実際に私も何度か迷惑を被ったことがあります。それが原因で苦手な人や関わりたくない人も増えました。
      同じ障害者でもこう思うのですから、健常者の方々が障害者にマイナス感情を持つのは当然のことです。
      障害者だから周囲が守らなければならない、何をしても許さなければならない。おかしいですよね。平等って何だろう、最近特にそう思います。

      自分語りになってしまってすみません。

  24. 障害者の何が問題なのかと聞かれたら私は変な守られ方をしている事に問題があるのだと思います。
    やれ人権だ憲法で保障されているだと、行政は何も対処をせず、障碍者達はモヤモヤした煙の様なもの守られて、被害者側は泣き寝入りするしかない状態です。
    こんな状態ではひたすらヘイトを稼ぐだけで、より排他的思想を心に誓う人が増えるだけです。
    いくら差別するなといわれても、関わることでリスクを追いそうな人に普通に対応できますか?
    存在がどうのこうの貴方等の生きる意味はと、暴言進んでを投げ駆るような事はしませんが、正直関わりたくはない人達です。
    もちろん、そうでない人も居るでしょうが、被害にあった側からしてみたら憎くて仕方がない存在です。
    悪事をしたのに悪びれる様子はない、責任能力がないから仕方がない?罪はない?
    私は「法は弱い人の為に作られている」と、弁護士からそう言われた時、障碍者を嫌悪する様になりました。
    全ての障碍者が悪事を働かないのはわかっています、ただ、あの人達には罪を帳消しに出来る免罪符が付属されている事に嫌悪感と恐怖を感じるのです。

  25. とにかく知的障害はいらん

  26. 知的障碍者に迷惑をかけられたことがあるものです
    ただ、 知的障碍者でひとくくりにするのは すこしおかしいと思います

    健常者でも犯罪を犯す人がいるという意見がありますが、
    それはちゃんと法で罰せられています

    義務あっての権利 障碍者を健常者のようにあつかえというなら
    同様に罰するべきです

    彼ら 彼女ら 自信 障害と関係ないところで 親が甘やかしてるのが原因のこともあ多々あります

    そもそも障碍者にも意識はあるのだから、人をきづつけてでも反省しないで回りがかばえば
    くずになるのは 当然です

    たとえに 犯罪者やよっぱらいで迷惑書ける人もいますが、 なら当然
    同じように裁かれるべきです わたしは 強くそう思った理由は

    障碍者のかたの講演から障害を言い訳にしている 人もいっぱいいるということを聞いたときに
    このことを強くおもいました

    障碍者とひとくくりにするのは間違いですが、 なら 人に迷惑をかけるのは障碍者ではなく
    犯罪者です これをわけずにごっちゃにした 政府や 人権団体の 責任が

    なによりの障碍者への偏見の助長に他なりません

    生きててほしいというなら それは、家族のエゴです 自分のみが責任を負うべきで
    障碍者雇用などはやめてほしいです 職場の知的障害の女のせいでひどく迷惑をこうむりました

    一番むかついたのは 人を気づつけておきながら、 自分の被害妄想だけわめくところです
    完全に 知的障害関係なく 親の甘やかしが原因です 迷惑で役立たずのくずはしね
    これは当然です

    障害関係なく どりょくしたなら それをさべつするのは まちがってますが、
    現実に やくにたたず 迷惑をかける くずはしね

    それは当然です それを障碍者だからしかたにというのは それこそ差別で
    その仕方ないを 周りに押し付けるような くそ親は もはや、犯罪者でしょうね

    • 最寄り駅で障害者が話しかけてくるのが怖い
      実際太ももを触られた友達もいる
      最寄り駅は無人駅で人が少ないから何されるか分からなくて怖い消えて欲しい

      • 身内に知的障害者がいるものです。はっきり言って身内からしても迷惑で仕方ありません。僕は高校生なのですが、叔父が障害を持っています。重度の知的障害で、意思疎通が全くできません。身長が180cm以上ある40代の男が家の中を奇声を発しながら動き回る姿は恐怖でしかありません。また、なぜか歯磨きを頻繁に行い他人の歯ブラシを使う挙句、洗面所を歯磨き粉だらけにします(叔父の唾液も混じっています)。自分は唾もかけられたことがあります。しかも人の部屋に侵入しようとし、鍵がかかっていれば扉をガチャガチャガチャガチャずっと鳴らし続けます。何故か扉を閉めるのも好きで、姉が部屋に閉じ込められたこともあります。叔父が一ヶ月に一週間くらいしか来ないのが幸いですが、叔父がくるとストレスしか感じません。障害の権利を主張する方は、叔父の行動も容認しろということでしょうか?それなら一週間重度の知的障害者と生活してみればいいと思います。障害者の権利とか言ってられなくなります。

  27. まあ、 生きる意味はないと思いますよ

    家族が生きててほしいっていうならいいですけど
    社会的に価値がないのに社会で雇用確保しろって押し付けるのはおかしいですよね

    障碍者でも工夫して問題なく 働けるならいいです

    でも、働けない その分の価値がだせないってんならそれは社会的にはかちがありません
    それでもいきててほしいなら 家族がやればいい

    これにたいしてかばう きもちわうり人たちは 自分たちがお金あつめて救えばいいじゃないですか

    政府にも頼らずにね

    そうやっていいひとぶりたいけどやらない あげく正論言ってる人んいねとうよだのれんこして
    あんたらこそ差別主義者どころか ごみkずの犯罪者だろ きもちわうりんだよ
    障碍者かばって善人のふり
     じったいは 障碍者よりもはるかに劣るきもちわるいゴキブリの自分たちを隠したいだけd
    証拠に ちゃんとはたらいてる障碍者にたいしては見向きもしない

    障害社がしゃかいでるには それこそ大事な成功例なのに それは無視
    あんたらが語気bるいできもくてこじんこうげきまでうすr差別主義者いかの語気b類犯罪者きもぶたテロリストのおぶついかのゴキブリしゅうだんってことがよくわかるよ

  28. ブロガー江川さんはじめまして。重度智的障害者の親です。私たちのこどもが、いろいろな方に不快な思いをさせてもうしわけありません。

    でも「知的障害者が生まれた家庭は、間違いなく不幸になる。」なんてことはないですよ。
    少なくともわたしは、母親になる前よりもいまのほうがしあわせです。こどもがくれるしあわせは、はかりしれないものです。
     
    その人がしあわせかどうか、外からみただけではわかりませんよ。
     
    でも、わたしも以前は、年老いた女性が中年の障害をもつお子さんらしき人の手を引いて歩いているのを見ると
    「ああ、障害を持つ子どもが生まれたらおしまいだな」
    と思っていました。
    だから、ブロガー江川さんがそう思う気持ちもわかります。

    • 追伸

      悲しくなるのはだれかにこどものことを「気持ち悪い」「いなくなればいいのに」と言われたときです。そのときはこの子を連れて死のうかどうしようかと考えます。そういわれたことが最近会って、どのくらいそう思っている人がいるのか気になり、検索してしまいました。
       
      そういうときの私は、とても不幸かもしれません。

  29. By きょうだい児

    先ず、記事の内容を可能な限り第三者的・客観的視点から書かれた
    「過激になりがちな内容を出来るだけ穏当に書いた良い記事」だと思いました。

    その上で。
    当方は重度知的障害者の兄を持つ、「身内」に当たる立場の人間です。
    が、率直に言って兄を大切だとも、生きていて欲しいとも思いません。
    寧ろ一日・一刻も早く死んで欲しい、彼の為に望まぬ負担を強いられる人生から
    解放されたいと思わない日は無い日々を送っています。
    身内全てが障害者の生を望んではいない、と補足の様な・重箱の隅をつつく様な真似をさせて頂きたく。

    世の方々は「自分達は障害者とその身内を支えてやってるんだ」と言う意識が大半を占める様に思いますが
    こちらからすれば「あなた方が障害者の直接の世話もせずに善い人で居られるのは、
    直接の福祉社会の一員ぶって居られるのは、我々身内や福祉施設職員の方々の犠牲があるからだ」
    と言う考えがあると申し上げねばなりません。

    自分が彼の様になった時に社会の手で殺されても構わないから安楽死制度を設えてくれ。
    駄目なら自分の様に嫌々やっている人間ではなく、障害者福祉は素晴らしいと嘯く人々と交代させてくれ。
    それも駄目ならせめて施設職員の方々や自分達身内に(障害者年金とは別に)お金で報いてくれ。

    文句・異論をお持ちの方が居る事でしょうが、「文句があるなら代わってくれよ」、それが偽らぬ本音です。

  30. 健常者のみが生きられる世界ってことか

  31. 重度の場合はまだよいのです。それとすぐに分かれば回避もできるのですから。
    一見でわからないのが怖いです。
    行動や言動に違和感を感じたら相手にせずに直ちに立ち去るべきだと。
    私は後から気がついたわけです。ホームから落ちなくてよかったなと。

  32. 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害されるなどした事件から26日で1年半となるのを前に、殺人罪などで起訴された植松聖被告(28)が時事通信の取材に応じた。
    事件当日、神奈川県内の別の障害者施設にも「行くつもりだった」と述べ、二つの施設を立て続けに襲う計画だったことを明らかにした。殺害を正当化する主張に変化はないものの、殺害方法に関して初めて謝罪の言葉も述べた。

    〔写真特集〕相模原・障害者施設殺傷事件~植松被告の手紙~

     植松被告は昨年12月以降、勾留先の横浜拘置支所で複数回、接見に応じた。それまでは接見を断り、手紙のやりとりのみ応じていた。
     同被告は事件5カ月前の2016年2月、勤務していた同園の同僚に「重度障害者を殺す」と発言し、退職と同時に措置入院した。この時のことを「自分の考えに自信があった」と振り返り、
    約2週間の入院期間中から、襲撃に向け「肉体を鍛え準備していた」と話した。

    https://www.jiji.com/sp/article?k=2018012500925&g=soc

  33. 植松聖が安楽死させるべきだと言っているのは

    先天的な自立不可能であり自己決定の出来ない重度の知的重複障害者である

  34. 誰も幸せにならない障害者雇用。軽度の人達ですら
    「何度も同じ事を教えても学習しない(あえてやらないのかも)」
    「人目がなければ平気でサボる(バレるような事を後先も考えずに)」
    「注意しても反省せず逆恨みしてくる(当然のようにモンスターペアレンツ)」
    健常者の半分も仕事ができなくて毎月有休二日取り手抜き掃除も途中のまま定時上がり
    こんなのと同じ時給で尻拭いをさせられて労力は倍で働かされる健常者…公平(理不尽)な世の中w
    存在までは否定しないけど 社会には土足で踏みこんできてほしくない。

  35. ご意見読まさせて頂きました。最近、重度の意思疎通のできない障害者について、この方達はどういう意味があってこの世に生を受けたのかをよく考えてしまいます。

    先日も、病院に診察に行った時、いつもお見かけする老夫婦と車椅子の重度ダウン症で意思疎通はできない上、何かご病気をお持ちのお子さんがいらっしゃいました。お子さんといっても、もう40歳は超えているかもしれません。老夫婦は60代後半と見受けられます。
    車椅子に座っていても、だんだんずり落ちてきて、足が床についてしまうを繰り返しています。一応、股当てがついたベルトを車椅子に装着していますが…
    その度に老夫婦は自分より重たそうな子供を抱き抱えて、座り直させようとしますが、その度に奇声をあげます。そして、そういう公衆の面前でも、奇声をあげると父親は背中を拳で殴っていました。母親も口にタオルを詰め込んでいました。
    その様子を見ていて、この夫婦は自分達もそろそろ介護という問題がでてきそうな年齢なのに、子供の介護に毎日追われているんだろうと、母親は自分が産んでしまった責任みたいなものがあって、必死なんだろう、そして、父親の行動を見ているとかなりのストレスか鬱積していることが感じられました。
    24時間テレビなどでも、障害者は取り上げられますが、条件として、体の一部が健常ではなくても意思疎通ができる方ばかりです。実際、この夫婦のように重度の意思疎通ができない障害者をお持ちの家族は、それを見て綺麗事だなって絶対思っているはずです。それは当事者しかわからないことです。
    最近、『タロウのバカ』の最初のシーンに重度の障害者ばかり集まる施設が登場します。本当にこのような施設が実際ないとは言い切れないと思うのです。とても凄惨な状況でした。
    この問題は日本だけでなく、世界でもっと議論されなければならない問題だと思うのです。私もまだ簡単にこの結論を言い切れない状態です。どうしたらよいのか、もっと現実問題として考えていくべきだと思います。

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